〜脳卒中の日記風〜
ラジオ

左耳はどうも聞こえづらかった、
あるいは聞こえなかったのかも知れない。
看護婦さんが何処からともなく、
ラジオを持ってきてくれた。
ちょっとした音でもずいぶん刺激になるそうだ。
ボクは前からラジオを聞くのが好きだった。
特に好きなのがＦＭ。
音楽がたくさん流れ、そして、音がクリアだ。
しかし、久々のラジオは何を言っているのか、
どんな音楽が流れているのかさえ、よく分からない。
何か音は聞こえるけれど、
それが声か音楽かは分からないのだ。
何でだ？と、ボクは思った。

ある日、ひとつのチャレンジをした。
左耳の側に置いてあるラジオを、
動く左手を使って、
右耳の側まで持って行く。
単純に、ただこれだけの事だけど、これがなかなか緊張する。
左側から右側に移す時、
どうしても左手はクレーンのようにラジオを吊って、
顔の前を通過する。
左手だってあまり力がなく、従って、
握力さえもあまりない時のことなのだ。
しかもスピードが遅い。
よろめきながら上空を運ばれて行く。
これ結構コワイ。
でも、右耳の方がよく聞こえたんだ。
左耳よりずっとずっと聞こえたんだ。

ＦＭが良いのだけれど、なかなか思い通りになるもんじゃなく、
ラジオのスイッチを入れてくれる人によった。
切り替えの仕方が分からなかった。
いや、そこに書いてある文字さえ読めなかった。
そして、止む無くＡＭを聞いていることも…
でも、そのＡＭでさえ聞ける状態じゃなかったのが、
あの瞬間だ。

ボクは横浜にずっと住んでいる。
ボクはプロ野球が好きだった。
当然というべきか、地元球団のファンなのだ。
特に優勝がかかっていた大事な時期だった。
その時、ちょうど入院という事態になってしまった。
ＴＶやラジオは無く、
ましてやスタジアムに行けるわけもなく、
病状も悪化し続けてしまった。
それどころではなくなってしまったのだ。

ある時、看護婦さんが、
「横浜も頑張っているんだから、あなたも頑張って！」
そう言っていたように記憶しているが、
情報はそれっきり…。
家族が伝えてくれなかったのは、
ボクが「喜びのあまり卒倒するんじゃないか？」
と思ったからだそうだ。
初めて優勝を知ったのは、日米野球のラジオ中継を聞いた時。
１１月に入ってからのことだった。
幸いビデオに録画してくれたので、
その瞬間を見るには見れた。
でも…やはり…と今でも思う。

悔いが残る瞬間だ。